ラグビークラブチーム【城東ドンキーズ】東京 江戸川区 rugby tokyo

ラグビークラブチーム 【城東ドンキーズ】 東京 江戸川区 rugby tokyo
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城東ドンキーズな人々では、毎回一人のメンバーを取り上げ紹介します。
このコーナーは、阪井氏のアイデアをもとに企画しました。当初は、自薦から始めましたが、現在はちょっとでも推薦の声があれば取り上げています。自薦は継続していますので、登場希望の方はHP担当鈴木まで連絡してください。誉めるのを基本にしてますので安心して応募してください。
第八編を持ちまして木野氏執筆による「ドンキーズな人々」は終了しましたが、第九篇より鈴木が担当します。
極めてゆっくりなペースで更新していく所存です。

第一編 阪井亜紀夫 第二編 福井恵之 第三編 奥野雅美 第四編 佐々木隆 第五編 アンソニー
ウェストブルック
第六編 今村公一 第七編 鈴木総一郎 第八編
最終回
渡辺一史 第九編 高木穣 第十編 福本勝仁
第十一
小澤仁 第十二編 馬場一

第十二編 馬場一 2013年12月12日 by 福本勝仁

12/8の練習が2013年JD練習納めとなりました
Div1との入替え戦にチャレンジ出来た春シーズン、悶々と過ごした秋シーズンの2013年はMTG及び納会を残すのみとなりましたね

そんな中で、2011年3月からチームの一員として、またFWの中心メンバーとして活躍してくれた馬場ちゃんの最後の練習となりました

九州の名門:長崎北でラグビーをやっていた馬場ちゃん、26歳でJDに入り3年半という期間でしたが、LOとしてスクラムの屋台骨を支え、接点での仕事量はこのチームにとって非常に大切な戦力だったと思います

って、こんな所で杓子定規に書いても仕方ないので、完全に個人的に思った事を書かせてもらうと

彼のラグビー取り組む姿勢も、自分が描いているプレーとチームの結果がなかなか結びついて来ないというジレンマに苦しんでいた姿も、女性に対してすごく真面目で紳士に向き合う俺と同じ姿も(笑)、全てをひっくるめてずーっと見続けてきた俺が表現をすると、
「いい男」 でした

その反面として、優し過ぎるって面もあったよね
FWリーダーとしてチームを引っ張る立場になった時は、もっともっと人に対してガツガツ言って欲しかったぞ
自分はプレーで語るタイプと本人は言っていたけど、俺はそうは思ってません

馬場ちゃんには、メンバーを言葉でも姿勢でも引っ張れる力を持っていながら、チームの敗戦は自分の責任として背負い込んじゃってたよね

それをその悔しさをチームに対してもっと出して欲しかったし、その言葉でもっともっとチームを鼓舞出来たハズ

それが馬場ちゃんの優しさと言えば聞こえはいいけど、俺はもっと彼らしい本来のプレーが見たかったし、もっともっと激しくプレーする姿を見たかった

馬場ちゃんだったら出来るって俺は思ってたからね

自分に気づかない間にブレーキが掛かっていたような感じがずっとあったかなって今でも思ってます
(女性に対してもそのブレーキがかかってるんちゃうの?って思ってるし 笑)

そんな馬場ちゃんも来年は30歳
男として飛躍を遂げる年齢に入るよな
全てにおいてアグレッシブに、何事にも恐れる事無く、仕事にもプライベートにも、ラグビーが出来る環境があればラグビーにもガツガツ行って欲しいなって思ってます

どこに行っても、一緒にラグビーしたJDメンバーはいつでも馬場ちゃんの仲間やし、みんながそんな馬場ちゃんを応援してるぞ〜

で、俺の次にやるであろう結婚式は長崎まで呼んでね〜

■集合写真 斜っ


■馬場一、男の立飲み(美女付 2件目)

■馬場一、男の酔っぱらい(目が開いてないが、美女付 3件目)


最後に

こいつと過ごせた3年間、俺はホンマにオモロかったぜ!

第十一編 小澤仁 2009年12月3日 by 田村恵一   追悼ページはこちらです。

ドンキーズの皆様

先週末は本当にお疲れ様でした。
ドンキーズなりの立派なお見送りが出来たと思います。

一方 会社では(大阪では違うと思いますが)淡々と何事もなく
通常業務が行われています。

当たり前の話しなんですが、なんかちょっと腑に落ちない部分もあり
ドンキーズの小澤について、会社の同期を中心に下記内容のメールを入れました。

ちょっと褒めすぎかもしれませんが、正直な気持ちを書いたつもりです。
チームのメンバーにも是非読んで欲しいと思います。
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彼のラグビーチームでの様子を書かせて頂きます。

 私と小澤は91年に東京支店に配属になり、共に青山寮に入りました。大学の先輩が『ドンキーズ』に加入しているということもあり、すぐにチームに加入しました。入社前から彼がラグビーをしていた事は知っていたので、即ドンキーズに引っ張り込みました。

彼のポジションは 1番(プロップ)。スクラム最前列です。そして私は2番(フッカー)。彼とは何百回とスクラムを組みました。もともとナチュラルに身体が頑丈で、しかも負けず嫌い。自分よりも身体の大きく強い相手でもひるまずに立ち向かっていきました。時には圧倒的に相手が強く、悔し涙を流しながらスクラムを組んでいたこともありました。

彼ほど頼りに出来る1番はいませんでした。

 チームに加入するまでの彼のラグビー経験は高校時代の3年間だけでした。お世辞にもラグビーがうまいとはいえません(というよりもヘタクソでした)。

しかし、『闘争心』『どんなに強い相手でもひるまずに立ち向かっていく姿勢』『頭から敵に突っ込んでいく勇気』など、ラグビーをする上で何よりも大事なものを彼は持っていました。その分、鼻を骨折したり、額を切ったりと怪我も多かったですが。



 95年頃、彼はキャプテンになりました。ドンキーズは大学のOBチームなどとは違い、さまざまな職業、
経歴、年齢の者が集まったチームです。また、ラグビーに対するスタンスもメンバー毎に異なります。
ともすればバラバラになってしまいがちですが、チームの精神的な主柱になり、ハートでチームを
引っ張っていきました。

 名古屋、大阪に転勤になってからも、チームが危機を向かえた時は、日帰りで試合に参加
してくれました。 ほんとにラグビーが好きで、ドンキーズが好きだったのだと思います。

もうそんな彼とプレーすることは出来なくなってしまいました。
 
しかし、彼のラグビーに対する姿勢、チームを愛する姿勢は『宝物』として守っていかなければ
ならないと思っています。

最後になりましたが、あらためて 小澤仁君のご冥福を心よりお祈りいたします。
長文になり失礼いたしました。

第十編 福本勝仁 2007年5月1日

第九編から1年以内にとは思っていましたが…時が過ぎるのは早いものです。

今回取り上げるのはDonkeysバックスの要であり、お笑いとゴルフをこよなく愛する福本勝仁氏です。スキューバなんかもやるそうですが、あまりやりすぎると貧乏生活に陥るため控えているようです。

そんな彼が初めてドンキーズに来たのが2005年7月3日。江戸川リーグのセブンスの日でした。メンバーの執拗な勧誘が効いたのか翌週に行われた菅平合宿にいきなり参加!帰りのバスでは笑いの中心に彼がいました。調和型な一面があるため、直ぐにドンキーズに溶け込み2回目の参加とは思わせませんでした。

その後、後期シーズンになり彼は数回参加したのみで突如姿を消します。
なかなか男前です


体を張ったディフェンス
2006年になり、忘れた頃に彼は姿を現し、再度活動開始!サンデーリーグで肩慣らし、クラブ選手権では見事にバックスラインの一員となり得たのでした。

プレーについては思ったより!?高い身体能力を活かし多少のことでは倒れず、相手の攻撃を確実に止めるタックルをします。足が遅いと主張していますが、ごっつぁんトライが得意なので関係ありません!!フォローをちゃんとしているという事でしょう。

普段はそんな風には見えませんが、練習や試合が始まるとキチッとスイッチが入り、熱いプレーを数々見せます。特にビシッと決めるタックルには彼の気持ちの強ささえ感じます。

そんな彼からはドンキーズにラグビーに対する心構えを教えられているような気がします。普段は笑っていても、ラグビー(と女性)に対する集中力はずば抜けています。

そんな彼を今後注目してきましょう!試合後のコメントもいろいろと語っていますが、彼のプレーにまず注目していきましょう!もしかしたら今まで気付かなかった自分に足りない所を発見できるかもしれません。

あと、勢いのある芸は得意なのですが、それ以外の芸を見た事が無いのでそろそろお披露目をお願いしたいところですね!

第九篇 高木穣 2006年3月6日

いつかはやらなくてはと思いつつ、1年9ヶ月。
ゆっくり気楽にやります。

白羽の矢が立ったのは、バックスリーダーの一人でもある高木穣氏です。彼は高校→大学とラグビーを経験した後、しばらく時間をおいてから2003年5月に入会しました。

一見、物静かなタイプな人間に見えますが、全くそんな事はありません。ラグビーに対する考え方は、他のメンバーに引けを取らない熱い物があります。酒が入り興に乗るといろんな隠し芸(裸系)を出したりもします。

SOやセンターを巧みにこなし、入会当初から高い能力を見せていた彼はチームのメンバーからも厚い信頼を得ています。
ただ当時はBKの人数が少なく、なかなか自分の思うようなBKという訳にはいかなかったのでは無いでしょうか?
一番右の人



サングラスの人
入会から1年と少しでBKリーダーを務める事になり、当初は苦労しているなぁ〜と感じたものですが、最近ではキャプテン団の一人としてチームを纏めつつあります。

入会してまだ3年足らずでここまで彼が成長したのはドンキーズが彼を必要としたからと言う事もあるかもしれませんが、彼がラグビーが大好きだという事と同時にドンキーズが大好きだからではないでしょうか。

多忙な仕事の中、週に一度のラグビーから人の輪をつくり、アフターや時にはプライベートに於いてもドンキーズメンバーと共にある。ドンキーズが彼にとって(各メンバーにとってもですが、)そんな場所であっても良いのではないかと考えます。

最近ではBKの人数も増えた事ですし、他のキャプテン団と共にドンキーズラグビーを追及していって下さい。チームのプレースタイルに一層磨きをかけ、ラグビーの楽しさをメンバーが実感できた時、彼自身もラグビーを一番楽しめる事になり、よりラグビーを深く追求していきたくなるんじゃないかな!?


また、アフターやプライベートでもどんどん周りを巻き込んで、ドンキーズの楽しさをみんなに教えてあげてはどうでしょうか?学生時代に味わった一体感のような物は社会人になるとなかなか味わえる物ではありませんが、是非ともドンキーズでそれを実現して欲しいと思っています。
また、高木氏が運営するブログも注目です。ラグビーに対する想いや私生活での事なんかが徒然なるままに執筆されています。
まだまだ引き出しはあるんでは無いでしょうか?思う存分やっちゃって下さい。



第八篇 渡辺一史 2004年5月28日

左が渡辺氏またまた、一年以上空いてしまいました。

2000年5月に始めたこの企画も満4年が経ちました。そこで、今回の第八編をもちまして木野によるシリーズは一端の区切りとします。今後につきましては、人物描写の優れた書き手が現れれば第二弾として再開されるかもしれません。我こそはという方は名乗り出てください。

そこで最終回の人物ですが、渡辺一史君に焦点をあてました。チームで間違いなく一番「良い」人です。2002年6月の入会です。この文章を書くにあたって、入会当時のメールを読み返しましたところ、直後の菅平交流試合の出欠メールに既に「何か手伝うことはありませんか」というフレーズを見つけました。
この例のように、裏方の仕事に積極的に取り組むという彼の姿勢は入会以来一貫しています。従って、その1年後に彼が副務をやることにメンバーは何の違和感もありませんでした。

右端が渡辺氏、Vサイン好きスタッフには、一般的には彼のような調和型人間が向いているといえます。ただ、私の経験から言えば、調和ばかりではチーム運営はできません。特にドンキーズのような皆が揃うのが難しいクラブチームでコンセンサスの形成ばかりやっていると何も決まりません。かといってスタッフが先頭に立ってリードすると不協和音が発生します。

そこで、彼が取り組んでいる「ファシリテーター」の勉強がドンキーズにおいて成果をあげるのではないかと思ったりもします。

プレーヤーとしては「一直線」という言葉がぴったりです。要するに器用ではありませんが、思いっきりがいい。うまくはありませんが、意表を突くプレーでトライも上げたりします。プロップとして体力的に恵まれているわけではありませんので、無茶なプレーで怪我をしないかちょっと心配しています。

彼には、スタッフ職に取り組む姿勢と同じくらいの気持ちで、プレーにもストイックに取り組んでほしいのですが、そうは行かないみたいです。ラグビーのプレーぐらいは感性で(きままに)やらせてくれというところかもしれません。



第七篇 鈴木総一郎 2003年2月20日

一年以上空いてしまいました。

今回取り上げるのは、鈴木総一郎氏です。彼は法政の同好会クラブでラグビーをやったあと卒業後しばらくのブランクを経て1999年に入会しました。

闘志を表に出すタイプではなく、理論家肌のところがあります。ただ、理詰めなんですが、現実主義者でもありますので周りとスムーズに調和しています。

ポジションなども試合によって足りないところをこなします。プロップ、フッカー、フランカーなど。でも、去年ウィングをやったときはさすがに戸惑って、ラインを間違ったりしていました。




後列真中の人


マリーンズを追いかけて札幌まで平気で行きます。

メンバーの能力(彼自身も含め)を冷静に見極めていて、妙に力んだりはしません。グランドに立ってから慌てたって間に合わないよ、日ごろから準備をしてこいよ、というのがポリシーなのかな。

こう言うと第三者的にものを見る人物のようですが、そんなことはありません。プレーは熱いんです。でも、ドンキーズというチームが結果を求めるにまだ体制が整っていないと思っているのか、終わると試合を冷静に振り返っています。

一方、スタッフとしては何でも嫌がらずそつなくやります。彼の業務処理能力からすると、ドンキーズの運営などは序の口なのかもしれません。余裕綽々のようですのでこれからはもっと重い責任を背負ってもらいましょう。

また忘れてならないのは、彼が運営しているサイトです。「Let's Go Donkeys」には、デジカメで撮ったドンキーズの写真が満載されています。ここでの注目はメインの写真につけているコピーですね。なかなか秀逸です。

彼は余暇の楽しみがいくつかあって、その一つがドンキーズであるとの姿勢を貫いています。ドンキーズ燃え尽き症候群には決して罹りません。(僕など危ないかも)
この春も、サンデーリーグの試合より、マーリンズの開幕戦を優先するようです。僕としては、マリーンズよりドンキーズを上に持ってきて欲しいけど、やっぱり無理かな。



第六篇 今村公一 2002年1月24日

また大分あいてしまいました。今回はバックスの要“センター”の今村公一(ともかず)氏です。彼は、チームで最もラグビーが好きな人です。他に、酒も一番ですが。

まずはプレーです。かなり我儘でした。でしたというのは、昨年ぐらいから玉離れが良くなり、またパスも優しくなってきたからです。齢三十を越えて人間が丸くなってきたのか、はたまたプレーに開眼したのかはよくわかりません。

ただいえることは、彼の我儘に見えたプレーの原因はまわりのプレーヤーとの間の相互の信頼感欠如だったのではないかということです。それは、彼がイメージするようなプレーを彼を含むチームができないもどかしさ、ラグビーに対する思い入れその温度差に起因していたと思います。


左から三人目、ビールの人



歌っている人

昨年の11月23日のサンデーリーグ25周年にリーグ選抜メンバー同士の試合に出場した彼は、こんな感想を述べていました。「まわりが速くて楽しかった」「でもついていけなかった(本人追加)」。 その言葉には、ドンキーズで楽しいラグビーを実現してやるぞとの決意がにじみ出ていました(僕はそう思いたい)。そして、自分の目標とするラグビーをチームで実現する道筋が見えたのでしょう。

数年前、彼がキャプテンのとき、彼は責任と雑事で苛立っていた印象ばかりでした。私たちメンバーがいくらサポートしているつもりでも、彼は孤独ともどかしさから抜け出ることができませんでした。チームも過渡期で難しい時期でしたが、それを割り引いてもコミュニケーションがうまく取れていなかったと思います。

ここで要望です。現在は、バックスリーダーという立場ですが、キャプテンのときの目標を実現するためには、メンバーとのコミュニケーションにおいて、淡白さ・諦めを捨て、ひつこくさ・粘り強さを身に付けてください。一生懸命、自分の考えていること・やりたいラグビーについて語ってください。スポーツでは、プレーで見せることと、言葉で伝えることは表裏一体です。

プレーを離れたときのコミュニケーションは最高です。最近は、インターネットにより入会するメンバーが増えてきましたが、初めてきた参加者をチームに引き込む技(すなわち酒)は最高です。私は、彼に接待委員長の称号を贈りました。
ただ、彼の技(酒)は仕事仲間や友達とのコミュニケーションにも発揮されているようですが、試合の前の日などは控えてほしいと思います。

第五篇 アンソニー ウェストブルック 2001年3月28日

アンソニーが入会したのは、1999年11月です。そのつてで、スティーブ、グレン、ダン、ロビーと1年半の間に4人の外国人が入ってきました。グレンは残念ながら昨年12月に帰国しましたが、現在も4名がメンバーとして熱心に活動しています。

彼は英国出身で、日本に来てからもラグビーを楽しんでいましたが、試合で膝の靭帯を切るという大怪我をし手術をしました。しかし、根っからのラグビー好きで、リハビリ後再びラグビーを始めました。復帰して暫くして、練習をしっかりやっているチームに参加したいと考え、HPでラグビーチームを探してドンキーズにたどり着いたそうです。



前列左


アンソニー(左)とスティーブ(右)
もっとも、奥さんの実家が練習場(北篠崎)に近いというのも大きなの理由だったみたいですが。

彼のプレースタイルは激しいの一言です。プレーを見ているとラグビーという競技はつくづく個々の戦いだなあと思います。試合や練習のどの局面でも相手に負けていいという考え方は全くありません。さらに、行き過ぎて試合と関係ないところで喧嘩をしたりすることもあります。

実は、私は最初の頃、そんなプレーは修正すべきだと思っていました。しかし、今は学ぶべきだと考えています。すなわち、ゲームは戦いだということです。

ルールだとかチームプレーだとかボールを生かすとかを言い訳にして激しく戦う姿勢がともすれば欠けているとすればプレーヤーとして非常に恥ずかしいことです。他のメンバーもそういう意味で大いに刺激を受けていると思います。

アフターラグビーもラグビーと同じぐらい好きですが、最近は家族が大切ということで抑えているようです。英語教師として高校で講師を勤めながら自治体のサークルでも教えるなど忙しい日常を送りながらのラグビーですので怪我には十分気をつけてほしいと思います。

また、これからドンキーズが幅広い活動を展開する際には、長い在日経験を生かして協力してもらいたいと思っています。


第四篇 佐々木隆 2000年11月30日

ちょっと間が空きましたが大丈夫まだ続いています。
佐々木氏は、20年弱前の高校時代(足立西)からチームに参加、以来四国での勤務期間(松山、高松)を除き、中心メンバーとして活躍しています。

今年になってスタンドオフのポジションを後進に譲り、主にWTBで試合に出場していますが、これまではディフェンスのタイミングを外す巧みなステップでバックスを引っ張ってきました。今でも練習では常に先頭を走り、現役でのプレーに対する拘りは強いようです。

前列左側
家庭・仕事・ラグビーの三つをいずれも手を抜かないのは大変だと思いますが、飄々とやりこなして苦労しているようにはみえません(実情はしりませんが)。その姿は、家庭を持ってもラグビーを続けたいと考えているメンバーにとって身近な道標になっています。

彼が就職したとき職場が近かったので、当時は先輩社会人として偉そうなことを言ったよう気もしますが、最近管理職になったと聞き、「自分も年をとったんだなあ」という感慨を覚えました。

ドンキーズという空間では、お互いちょっと太って、足が少し遅くなったぐらいにしか感じてないのに。

佐々木ファミリー

この頃は、チームでのキャリアが長くなると共に、自身がラグビーを楽しむだけでなく、ラグビーを通じて社会と積極的関わっていきたいとの思いも強くなって来たようで、特に子供へのラグビーの指導について話し合うことがよくあります。チームとしてはこれまで試合や練習の活動をおこなうだけで精一杯でしたが、彼のような考えを持つメンバーも徐々に増えてきています。

チームを今後どう発展させていくのかまだ模索の段階ですが、チームが社会活動(ラグビーの指導、コンタクトのない誰でもできるラグビーの普及、ボランティアなど)を積極的におこなっていくときには、その中心メンバーとしても活躍して欲しいと思っています。


第三篇 奥野雅美 2000年8月28日

今回は、チームのムードメーカー奥野雅美君です。
彼は、最初のインターネット入会者です。当時(1998年12月)は、HPで入会者が集まるのか半信半疑でしたので、携帯に電話をもらったときは非常に嬉しかったのを覚えています。

年齢的にはほぼ最年少ということでやりにくいこともあるのでは思いますが、物怖じせず常に明るく練習・試合を楽しんでいます。また、チーム内では、みんなから「天山」(プロレスラーに似てるらしい)と呼ばれかわいがられています。
前列左側
ラグビー経験は、高校時代にあったとのことですが、ラグビー部そのものが弱小でラグビー漬けというわけにはいかなかったようです。
彼もクラブに入ってからラグビーを始めたという気持ちで、メンバーのアドバイスに耳を傾けています。

今年6月の東京都クラブ選手権2部残留戦では、1番としてフル出場、スクラムで相手にプレッシャーをかけ続けフォワード戦の優位に貢献しました。続く、菅平の交流試合ではラグビーの面白さを満喫・再認識したようで、最近はさらなるスキルの向上に意欲を見せています。

一方、チームとして、彼の現状のプレーに満足しているかと言えば、なかなかハイと言うわけにはいきません。まだまだまわりをリードするプレーが少なく目立っていません。恵まれた体格も生かしきれていません。これから10年以上はフォワードを支えてもらえると期待していますので更なる精進・努力をお願いします。

あと、体重が重いのは有利ですが、もうちょっと痩せないと走れないのではと心配しています。もっとも、これは、フォワード全体にいえますが(笑)。

クラブのラグビー以外の活動にも積極的に参加、将来は幹部(組じゃありませんよ)としてメンバーをサポートする側にも立って欲しいと思っています。

ホームページの伝言板では、福井氏とバトルを繰り広げ、話題を常に提供してくれています。HP管理者としては大いに感謝してますが、1日のクリックが20ぐらいの時に10回アクセスしたと言われた時は大ショックでした。

第ニ篇 福井恵之 2000年6月6日

好評につき続編を作成することにしました。
第二編では、今やすっかりチームの潤滑油となった福井恵之君です。
学生時代はもっぱらバレーボールを追いかけていたのですが、現在は楕円球の虜になっています。
ラグビー経験が少ないので、ラグビーをやればやるほど知れば知るほど難しくなっていくようです。
ただ、それは彼の目標が常に高いところにあるからでしょう。既にラグビー経験者と比べても遜色ないレベルに達していると思いますが、彼のフィットネスからすればもっといいプレーができるはずだと周りのメンバーも見ています。
練習の熱心さはチームで1番。周りへの気配りも1番。若手から年長者までメンバー全員に好かれています。
でも、アフターラグビーは別にして、試合や練習ではもっと個性を強く出してもいいのではと思ったりもします。昔は突っ張ってたとの噂も聞きますし。そのあたり、チームプレーとの兼ね合いは難しいですが。

また、アイオワ大学出身ということで英語ができます。かなりうまいみたいです。
昨年入会した外国人3人とコミュニケーションをとるとき、大体は通じるのですが、細かいプレーのことになると彼の英語力が必要になります。
さらに、グレンが膝の靭帯を痛め救急車で運ばれたときは、付き添って医者との間で通訳をしてくれました。このホームページに英語バージョンがありますが、これも彼が翻訳しています。
彼が、アンソニー、スティーブ、グレンと楽しそうに話しているのを見て、英語を勉強してみようかと思うメンバーが出てきたとか。

余技の武田鉄也の物真似には、かなり力を注いでいます。忌野清志郎も良いですよ。宴会のときは、是非一声かけてあげてください。

先日のクラブ選手権1回戦では、敗戦の責任を全て背負ったかのように悔しがっていました。残留戦は、残念ながら出張で参加できないとのことですので、彼の分まで皆で頑張りたいと思います。

第一篇 阪井亜紀夫 2000年5月8日

本篇最初に登場するのは、ドンキーズの若き獅子阪井亜紀夫君です。吼えろ阪井!
昨年のキャプテン団改選によりバックスリーダーの重責を担うことになった彼は、率先垂範、今年に入ってから全ての練習・試合に参加、ただ一人の皆勤賞です(遅刻があるので精勤賞でした)。
仕事柄(東京都水道局)夜勤明けの日もあったようですが疲れた体をものともせず明るくチームをリードしていました。
鎌西の先輩丸井キャプテンをフォワードリーダーの林ととも一生懸命支えています。但し、着替えるのが苦手のようで、練習を始めるのはいつも最後ですが。
バックスリーダーになって迎えた昨秋の江戸川リーグでは、自身の足首の怪我も含め、バックスが満足に揃わない試合が続き苦しんだようです。今年になってバックスのメンバーが十分ではないにしても集まるようになりほっとしたわけでもないでしょうが、トライがありません。周りに気を使いすぎているんでしょうか。

グランドを離れると、3人の外国人メンバー(アンソニー、スティーブ、グレン)の面倒を見、彼らがスムーズにチームに溶け込めるよう大いに活躍しました。決してただ酒を飲んでいたわけではありません。先日はアンソニーの引越しの手伝いをするなど大忙しです。
英語はまったくだめなはずの彼が外人メンバーと一番親しくしているのを見るとコミュニケーションは言葉ではないと実感してしまいます。
さらに、ほとんどが年上のメンバーで、また一言居士ばかりのおじさんを相手に臆することなく意見をいう姿を見ると、たくましさも感じるようになりました。
今後も、仕事とドンキーズの活動を通して自らを磨き成長していって欲しいと思います。

再来週から始まる東京都クラブ選手権では念願のトライを上げチームの勝利に貢献してください。